音の記憶

written by Yumi Notohara

「ヒロシマ」を若者はどう聴くか(1)〜竹西正志作曲《哀傷》〜

*竹西正志『哀傷I』(音楽之友社、出版年不明)より

 

先日、「戦争と音楽」をテーマにした大学の講義の中で、被爆者でもある作曲家の竹西正志さんのピアノ作品《哀傷 I》を自宅で聞いてもらい、音楽を通して感じたことや考えたことなどを短いレポートとして提出してもらいました。10分ほどの作品ですが、音楽専攻の学生ということもあり、いずれも最後まで聴いた上で真摯にコメントを書いてくれました。

 

広島に原爆が投下された1945年8月6日、竹西さんは広島一中(広島県立第一中学校、現在の広島県立広島国泰寺高等学校)の1年生でした。広島一中の生徒は、当時は市内中心部で建物疎開の作業中で、作業に従事していた教師と生徒が全滅したと言われる学校です。竹西さんはその日は体調を崩して学校を欠席したため、大きな怪我をすることはなかったようですが、原爆を生き延びた人が犠牲者に対して感じる「後ろめたさ」、いわゆる「サバイバーズ・ギルト」を深く背負ったことは想像に難くありません(「生き残り」ゆえの苦しみについては、関千枝子さんが著書『広島第二県女二年西組』を通して向き合っておられます)。

 

池内友次郎の弟子で、文部省芸術祭奨励賞を受賞するなど、作曲家として歩んでいた竹西さんが、原爆をテーマに曲を書いたのはこの時が初めてだったようです。1978年のことで、原爆投下からすでに33年が経過していました。当時受けた新聞社の取材に対し、「私にはまだ鎮魂の曲は書けない。だから哀傷とした。」と答えています。彼が楽曲について発言しているのは、これ以前にも以後にもなく、唯一この時のみです。それだけに、この一言がもつ意味は非常に重いのですが、それと同程度に、この音楽が投げかけるものはとてつもなく深いのです。

 

もちろん、聴いてもらった学生の中には、作品について「よくわからなかった」と書いた人もいました。また、「不安や恐怖があまりにも駆り立てられ、最後まで聴くことができなかった」という人もいました。一方で、作品の各部から(前半と後半で曲調が変化するため)、「嘆くことのできないほどの虚無感」、「日常が侵食されていく様子」、「後ろめたさや生き残ったことの意味など、心の内部が未整理で錯綜した状態」といったコメントや、「本当に辛い体験は簡単には表現できない」といった内容も多くありました。さらに、被爆者など戦争体験者がいなくなりつつある状況に触れながら、「こうした作品は、彼らの想いを伝えてくれる貴重な存在」という意見や、「戦争の苦しみを喚起させるこうした曲は、将来の戦争を防ぐことにも繋がる。それは現在の戦争を前にして音楽にできる重要な役割だ」といった心強い意見もありました。

 

一方で、説明の仕方や言葉遣いは違えど、複数の人が下記のように書いていたことも印象的でした。つまり、「辛い感情をテーマにした音楽と、辛い感情そのものを表現した音楽は違う。この作品は後者だ」というものです。この点は、あらゆる「表現行為」に関わるものであり、また「体験と非体験の違い」にも関わってくるものではないかと思います。けれども、今すぐには答えが出せそうになく、私自身の今後の課題として残されるものとなりました。

 

いずれにしても、この作品を真摯に受けとめ、真摯に考えを述べてくれた学生の皆さんには、心から感謝しています。