音の記憶

written by Yumi Notohara

国立ホロコーストメモリアル博物館(ワシントン)

国立ホロコーストメモリアル博物館(ワシントン)
ワシントンでは、国立ホロコーストメモリアル博物館も訪れました。海外に行った際、時間があるときは戦争関連の博物館も訪れるようにしていますが、私がこれまで欧米で見た戦争博物館の中では、その展示方法・発信方法などが最も充実しているように思われました。何よりも感心したのは(この博物館のコンセプトの一つと思われますが)、「何故?」という問い、それを観覧者自身が抱き、その答えを各自が探し求めるような展示になっている点です。そのため、ホロコースト被害を紹介する前に、1つのフロア全体を使って、そこに至るまでの過程を徹底検証していました。むしろ、この世界史上稀に見る「残虐行為に至るまでの過程を展示する」博物館と言った方が正しいのかもしれません。
なかでも印象に残ったのは、「アメリカはどう向き合ったのか?」について追究している部門です。ナチスの台頭やその思想に対するアメリカ人の認識、避難民の受け入れに躊躇した背景など、当時のアメリカの反応について資料を使って検証し、「あの時もっとできることはなかったのか?」を考える仕組みになっていました。自国が起こしたことではないにもかかわらず、歴史的非道に対する自省と自己批判の潔さには感銘を受けました。しかも、こうした展示については、HP上で各種の動画として取り上げられており、実際に訪問できなくても観覧することができます。実際、私は帰りの飛行機の関係で2時間しか滞在できなかったため、帰宅後に改めて動画で確認するなどしました。下記は、その「アメリカの反応」部門を紹介するサイトです。他にもさまざまな観点から掘り下げたページを見ることができます。

展示の一つ「アメリカの反応」

www.ushmm.org

当館がとりわけ「教育」に力を入れていることは、こうした展示を見ても明らかですが、実際、朝10時の開館直後に行くと館内にはすでに大勢の人がおり、場所によっては見るのが難しいところもあるほどで、特に10〜20代の若者が非常に多いのが印象に残りました。原爆投下の是非についても、若い世代ほど疑問視する声が大きいと聞きますが、今後、そちらの検証も本格化していくのではないかと期待しています。

ホロコースト博物館の追悼祈念堂
その一方で、広島の平和記念資料館については、もっと改善する余地があるのではないかと思ってしまいます。もちろん資金面の違いはあるでしょうが、SNSなどの発信方法だけを見ても決して活発とは言えません。被害の実相を伝える、犠牲者を追悼するのは当然ですが(これらはホロコースト博物館においても重要な使命の一つであることは間違いありません)、そこに至るまでの過程(日本の戦前の行為も含めて)も検証し、今もなお続く核の脅威について徹底的に考えることのできる場であればと思います。願わくば、世界で最初の核兵器被害を検証し、今後に活かす場として、教育、研究、資料保管と展示を兼ねた総合的な施設にしてほしいものです。
私も少なからず関わってきた音楽資料(作品)については、著作権の関係もあって現地で直接アクセスするしかないのですが、あらゆる資料のデジタル化とその公開が進んでいる中で、その状態で良いのか。少なくとも、その収集と保管や公開方法などの方針についてはこれから何度も検討していく必要があるように思われます(下記は、広島平和記念資料館のデータベース検索サイト)。

hpmm-db.jp